いつもはアトピー向けのお役立ち情報を書いていますが、読者さんからのリクエストを受けて
【今回は、子供のアトピーがどんな経過を辿るのか?どんな悩みを抱いていたか?の実例の話】をしたいと思います。
生後1ヶ月検診で「アトピー」と言われた私が30数年どのように生きてきたか?について、過去を振り返るという内容です。
「アトピー当人の気持ち」を知るうえで役立つかなと思います。
- 「アトピーを持つ女の子は何が悩みだったか?」
- 「子供の頃、親に対してどんな気持ちを抱いていたか?」
- 「成人した今、親に対して何を思うか?」
- 「親から心配されると、どう思うか?」
アトピーの症状も原因も人それぞれなので一概には言えませんが、心の片隅にでも置いていただけると嬉しいです。^^
アトピー歴ざっとまとめ 私は子供の頃はアトピーは酷くありませんでした。
学生の頃は「夏のあせも」と「冬のゴワゴワ粉吹き」が多く、痒みはそれほど強くない体質で、ゾンビになったのは、大人になって一人暮らしをしてからのことでした。ご参考まで^^
好きな場所から読む
この記事を書いたきっかけ・想い
読者さんのSさんは現在2歳のお嬢さんがアトピーですが、ご自身もご主人もアトピーではなく、アレルギーにもなったことがないそうです。
1年以上ステロイドを使って闘病されていて、今はしみずのボディーソープとみんなの肌潤糖を使ってかなりステロイドを減らせるようになったそうなのですが、やはり「この子の将来はどうなるの?」ととても心配とのことでした。
これは私個人の体験による考えなので、お子さんや親御さんによっては全然違う事もあると思いますが、
- うちの子…、アトピーがトラウマになったりしないかな?
- 私の妊娠生活がいけなかったんじゃないか…
- 生まれてからのケアが足りなかったんじゃないか…
- どんな風に子供のアトピーと向き合えば良いか分からない
自分自身を信じられなくなって無力感を感じてらっしゃる方に、ぜひ読んでいただきたいです。
アトピー体質になった子供(私)が、子供なりにアトピーとの付き合い方を理解し、大人になった今、実母を見て感じること。
そして私自身が産んだ子が自分よりも酷いアトピーになってしまった事について、自分自身を責める気持ち。
私なりにお伝えできたらな、と思います。
長いので分割しています。また、ちょっと重かったらゴメンナサイ。
でも、あなたにとっても、何かヒントになるかもしれません。
各ライフステージを振り返ります
生後1ヶ月の赤ちゃん、アトピーの宣告
私は生後1ヶ月で受けた乳児健診で「アトピー宣告」。
「この子は皮膚が薄いからアトピー体質だよ。」と産院の医師から言われたそうです。
母も元々肌が弱く、ゴムの靴下が痒くなるタイプ。でも当時はまだアトピー患者も今ほど多くなく、その程度の知識や危機感。
母曰く、「この子の肌、乾燥してるなぁ。」としか考えていなかったそうです。(スキンケアの発想は皆無!)
母はいまやお婆ちゃんとなり、全身アトピーだった私の娘を見ますが「あなた(私)にはこんな湿疹なかったよ」と言います。
だから、私は肌は弱かったけれどそれほど炎症体質ではなかったのでしょう。ただ、肌はずっと乾燥して手先は氷のように冷たかったそうです。
【子供の肌は大人より薄く、子供の肌にこそ保湿が必要】というのは最近になって分かった事だから、仕方ないですね。
ちなみに、私はほぼミルクで育ちました。かなり酷い便秘で、浣腸なんて日常的だったそうです。(これもアレルギー体質と関係が深そうですね。^^;)
この頃は当然ですが自己評価とかないので、気持ちの面は割愛です。
小学生・中学生: 夏あせも、冬乾燥を繰り返す
小学生の頃はこんなサイクルで1年を過ごしていました。
- 春:けっこう元気
- 夏:あせもで掻きこわし
- 秋:けっこう元気
- 冬:乾燥・ゴワゴワ皮めくれ
夏はあせもが酷くなりやすく、赤く掻きこわしてプツプツしていました。でもじゅくじゅくにはならなくて、秋になるとあせもは終わりました。
ただ、冬は冬で、夏の間に掻きこわしていた部分がとんでもなくガサガサ・ゴワゴワに乾燥するようになりました。
手と顔の乾燥・粉吹きがかなり酷くて、主婦でもないのに「あかぎれ」だらけ。
家族皆が私の手を見て【おババの手】と呼んでいました。今思うと結構ひどい。(^^;
冬は、唇はいつもゴワゴワでいつも皮向け、まぶたはガサガサ。口角炎にもよくなりました。乾燥が強かったんでしょうね。メンソレータムのリップとニベアが手放せませんでした。
母は忙しかったので、とくにケアはなし。
私の荒れまくった肌に心を痛めた祖母が、ローヤルゼリーやらビタミンCやらビオフェルミンのもっとすごいサプリを健康ショップから買い漁ってきては私に飲ませてくれました。子供にはキツめの大きさのサプリだったので、辛かったけど、今となってはありがたい。(TT)
・・・私のサプリ好きは、どうやら祖母の遺伝のようです。^^
この頃はやっぱりケアしてくれる祖母の方がぶっちゃけ好きでした。母は忙しく食事も出来合いが多かったので、祖母が作ってくれたのを持ってきてくれたり、サプリを食べさせてかれたり、構ってくれるのが嬉しくて。
子供ってよく仮病使いますが、親に甘えたい時なんですよね。うちの4歳もたまーに体調不良を訴えてきます。(特に月曜日の朝ww)
高校生: 思春期ホルモン+バイト+睡眠不足=アトピー
高校生になり飲食店でバイトを始めたら手荒れが発症しました。部活の朝練があったから、睡眠不足も…サラリーマンの父よりも寝ずに働いてましたね(笑)
ほどなくして、肘の内側と手首に謎のかぶれが大量発生。完全に主婦湿疹ですよね。高校生なのに。でも皮膚は強かったのか、オロナインやムヒで自然に治ってました。(今考えるととんでもない…^^;)
次はドーナツの賄いが貰えるからとドーナツ店でバイトしましたが、アトピー&ニキビが大量発生して「ドーナツは体によくないんだな」と生まれてはじめて理解しました。
ドーナツ店のバイトを辞めて事務の仕事を始めると、アトピーは自然と治っていきました。
この頃から、「私は他の人より肌が弱いみたい。なんでだろう?他の皆はそんな事ないのに、何が違うんだろう??」と疑問に思うようになりました。(遅い…^^;)
最近の子だったら小学生から気づいてますよね。でも、私には反抗期もあまりなかったし、「親のケアがどーだこーだ」なんていうのは全く気づきませんでした。
母も「痒いならムヒ塗っとけば?」ぐらいでした。でもそれはそれで、私にとってはよかったと今では思います。今振り返るとめっちゃ放任主義だったけど、私は基本、母のことが大好きなので。♡^^
社会人: 一人暮らし2年目、本格的な(?)ゾンビアトピー発症
一人暮らしの不摂生が祟ったのかアトピーがじわじわと酷くなっていきました。悪化したのはこの時が初めてでした。皮膚科に通い、何も疑問に思わずステロイドを塗る日々。今から10年以上前の話で、体質とか腸内環境が原因でアレルギーが起きるなんていう話は知らずにただステロイドを塗れば治ると思っていました。
4月のある朝、起きたら、顔がパンパンにむくんでまぶたが赤く腫れていました。別人のような顔。
「なにコレ?蚊に刺されたのかな?でも両目とも腫れてる…。」すぐにはアトピーだとは気づきませんでした。
見た目重視の仕事をしていたので仕事に出られず、始めは有給を消化していましたが、アトピーが日に日に悪くなっていったので有給を消化させてもらってそのまま会社を辞めました。そして・・・持っていたステロイド(たしかアンテベート)では抑えられず、発症から2ヶ月位でゾンビになりました。
事情があり実家では療養できず、毎週末だけ実家に帰り、そこから温泉に連れて行ってもらいました。悲惨な闘病生活の3ヶ月でした。
肌は異様だしじゅくじゅくが臭いし、夜なのにサングラスにマスク。関節がパリパリしてるから、ロボットみたいな動き。実家への電車は片道1時間半。金曜の夜、幸せそうな人たちの中に紛れて1人だけゾンビ。電車では相当ジロジロ見られて、辛かったです。
でも、私にはそれよりももっと辛いことがありました。
毎週末、ゾンビな私が実家に帰るたびに母は私の目の前で大泣きしたんです。
電車で浴びる好奇の視線は確かに辛かったんですが、正直言って、
私にとっては母の涙が一番辛かったです。
母が泣くたびに、私は「ゴメンネ。」と母に謝ってました。
自分が母親に心配かけたせいで母親が泣いてるんだから、「ゴメンネ」って思うのが当たり前の感情だと思います。
「こんな体になっちゃって、心配かけてゴメンネ」って。
でも、その次に湧いた感情が「悲しみ」。
私は自分では「よし!今週も温泉に連れて行ってもらって、治すぞ〜!!」という気持ちでいたのですが(能天気^^;)、母はちょっと違ったんですよね。
「20代で、いちばんおしゃれを楽しみたい年頃なのにアトピーになってしまった私を哀れんでいた」んですよね。
そして、その原因は自分なんじゃないか?と考え始めたわけです。(遅っ^^;)
あなたに一番気をつけて頂きたい事、今からお話します。
ここから、母親に泣かれた子供の気持ちを正直に書きますよ。結構ショックかも。でも本当の気持ちです。
ゾンビアトピーになった私に母が言った事
母がこう言ってました。
実は私(アトピママのこと)がお腹にいた時、とても悩んでいた。
お父さんとその頃うまくいってなくて、離婚を考えて、当時1歳のお兄ちゃんが居て、お腹には私が居て、どうしようって。とにかく、常に強いストレスを感じていた。それがアトピーの原因じゃないか。
また、こうも言っていました。
兄の世話のために妊娠9ヶ月で突然破水してしまった。
未熟児ですぐに大きな病院の保育器に入ったので、赤ちゃんに大事な初乳もあげれらなかった。
母乳の出がよくなかったのでミルクで育てたので、赤ちゃんなのに物凄く便秘になっていた。
母親の私がいけなかったの。ごめんね。
ショックでした。若干「今さらかよっ!」ですが、
私ももう二十歳を過ぎた大人だったのに、こう思ったんです。
「私の今の苦しみは、全部お母さんのせいだったのね。」
自分の母親ながら、コレは一番やっちゃいけなかったと思いますね。
どんなに申し訳なく思っていても「母親の私のせいでアトピーがひどくてごめんね」は絶対ダメだと思います。
母としては「懺悔」のつもりなんだろうけど、子供の私にとっては地雷でした。
当時の私、二十歳過ぎて自立してましたけど、母への「信頼」が一気に崩れました。
(その後、再構築できましたが、時間はかかりました。)
身内の同情や懺悔←正直、一番ツライ。
アトピーなのって自分が一番わかってるじゃないですか?痒いしガサガサだし知らない人に同情されるし、症状が重いと見た目でイジメられる。
そんな毎日が何年も続くとさすがにヤケになって「自分がアトピーなのは薬のせいだ!親が放置したせいだ!医者のせいだ!」になりやすいこともある。
でもそこまでは自分の気持ちの問題なので、そのうち自分でコントロールできるようになります。
でも、、、
身内からも同情される。さらに母親から懺悔。
超ツライです。
だから、ダメなんですよ。
今、私自身も実際その問題に直面していて、脱ステロイドを自分の娘に強行してゴマアレルギーにしたんだから、「自分のせいだ」って完全に思いますけど。っていうか完全にそうですけど。(このサイト見せられないなぁ・・・TT)
でも、こう思いませんか?
唯一の味方であるべき親が「自分をアトピーにした敵」になっちゃったら、子供はどう思うでしょうか?
味方であるべき親が自分を哀れんだら?
「親への信頼」、「自己肯定感」を失ったら、子供は何を頼って生きていけばいいのでしょうか?
「こころの基地は、おかあさん」
私を一瞬、絶望の奈落の底へ突き落とした母ですが、失った信頼をすぐに再建できたのは、私が子供じゃなかったからかも。
つまり私が子供だった時に母が表立って自分を責めてたら、今、どうなってたか正直分かりません。
母は私が子供の頃はすごく忙しくて大変で、私には無頓着だったので、それがよかったのかも。
↓私が中学生のときの会話(多分こんな感じ)
私「お母さん〜またあせもでかぶれちゃった。」
母「あら〜かゆいの。ムヒ塗れば?あ、ベビーパウダー買ってみたけど、使う?」
ぐらいですからね。たぶんこれがもしこうだっったら↓
「あぁ!またなの!もう・・・掻かないようにって言ったでしょう?あなたは肌が弱いんだから。部活もあせもになるからやめたらいいのに」
・・・完全に母のことキライになってたなーと思います。(==;
私の母みたいに無頓着すぎるのもちょっと嫌だけど、お母さんはアトピー闘病を頑張るあまりに怖い顔になっちゃダメですね。^^
「こころの基地は、おかあさん」
母親がしてあげられる事って「食事!」とか「生活環境を整える!」色々ありますよね。
確かにすごく大変です。掃除も大変だし、薬飲ませたり塗ったり・・・
でも、一番大事なことは、絶対「こころの基地は、おかあさん」ですよね。。もちろん「おとうさん」でもOK。
この気持ちが一番大切なんじゃないかなと、自身と子供たちのアトピーと向き合って来て、今ではそう思います。
私も、アトピーに良いアイテムに出会えるまではアレコレとブレましたけど、気持ちの上ではいつも
絶対にアトピーを治す!
ステロイド使ってでも、
アレルギーを絶対絶対、
治してみせるぞーーっ!!
と思っていますよ。^^
前向きなパパ・ママの顔を見たら、たとえステロイドなどのお薬を塗る時も、お子さんは嬉しいと思います。
歌なんて歌ってあげられたもっと最高ですよね♪
うちには
- お爪カリカリのうた
- ヒールドイドのうた
- お薬ぬりぬりのうた
- くまさん・ぬりぬりのうた
この4曲があります♪
詳しい話はまた今度・・・
長い文章にお付き合いくださりありがとうございました♡
お互い、頑張りましょうねーー!!ご不明点はコメントへどうぞ♡^^